特集!痛みシリーズ~その3~痛み反応

http://paincouch.exblog.jp/9291964/

特集!痛みシリーズ~その3~痛み反応

 

明確な外傷があり(傷口がパックり開いているとかメチャクチャ腫れているとか)誰から見ても「これは痛いな」というものは本人が痛いと言わなくても、その痛みは何らかの形をとって相手に伝わるものですが、いわゆる慢性痛というものは、そのほとんどが目に見えません。
そうなると、その本人が「痛い」と言葉にして発するとか患部をかばう動作をするとかしないと、それは痛みとして外在化しません。ということはその痛みはこの世の中に存在しないことと同じになるわけです。

大袈裟に言えば痛みというのは、本人が痛んで更に反応することにより始めて成立するわけです。

今日はこんな感じで痛みという感覚とその反応についてお話させて頂きます。

反応としての痛み

全ての知覚は主観的、個人的な体験であり、それ自体は伝達不可能です。したがって相手に伝達されるのは、痛みの知覚それ自体ではありません。では、いかなる媒体を通して人は相手に痛みをコミュニケートするのでしょう?それは痛みに対する反応を通してです。

痛みの刺激が与えられると、人間は一連の反応を示します。その反応は、やけどをして手を、裸足でガラスを踏み足を引っ込めるといった半分反射的なものから、状況を説明する、助けを求める、医者に行く、仕事を休むといった随意的なものまで、様々です。こうした痛みに対する反応が、相手への痛み知覚の伝達を果たします。もし、こうした反応を全然示さない人がいたとすれば、その人の痛み知覚は、永久に相手に伝わりません。

この痛み刺激に対する反応は、痛みの定義の中でも重要なところですから、もう少し細かく考察しておきましょう。痛み刺激に対する反応を包括的に考える場合、次の4つに分けて考えるのが便利です。

①言葉による反応
②体で示す反応
③生理的反応
④情緒的反応

まず①について。言葉による反応で一番単純なのは「ギャー」「ウ~ン」といったうめき声でしょう。次が「いたい」という言葉。英語では痛いを「アウチ」といいますが、電車の中でアメリカ人に足を踏まれたからといって、とっさに「アウチ!」と英訳する必要はありません。言葉の意味は分からなくても、声の強度、ピッチ、イントネーションで十分痛さは伝わります。

そして痛さの説明、痛みが起こった複雑な状況の解説を考えてみれば、言葉による反応を抜きにして相手の痛みを知ることはなかなか困難です。医学の臨床診断、治療もその例外ではありません。どこが、どのように、どのくらい痛いという訴え、診察中の医師との会話、鎮痛薬の要求など、ほとんどが言葉による反応です。

体で示す反応はどうでしょう?一番単純なのはすでに述べた腱反射です。そして体位の変化、顔の表情、ジェスチャー。痛み刺激から遠ざかろうとする動きや、傷む部分をかばおうとする行為も、当然含まれます。体で示す反応の意味を更に広げれば、病院に行き、身振り手振り現場の状況を伝えるのもまた、痛み刺激に対する反応です。

痛み刺激に対する生理的な反応といえば、心拍数や血圧の変化、発汗、筋緊張などがすぐに頭に浮かびます。それ以外にも、胃腸の活動性、脳波、ホルモンの分泌、血液・尿中の成分などにも変化が起こることが分かっていますが、一見しただけでは分かりません。

そして情緒的反応。これは主観的、感情的な反応です。一言で言えば、この情緒的反応が多分、個人的な痛み体験の核心に一番近い部分であると言えましょう。

以上、痛み刺激に対する様々な反応を見てきました。最後に付け加えておきたいことがあります。それは、言葉による反応は言うに及ばず、生理的な反応さえも、過去の体験、学習、記憶や置かれた状況によって、大きく左右されることです。

ごく簡単な例を挙げましょう。ある日、胃が痛くなる。それまであまり気にもしなかった痛みが、今日はなぜか気になる。前よりひどい気がするし吐き気さえする。そういえば今日は誕生日…。
父親がガンで死んだときと同じ、55歳になる…。(痛みの心理学 丸田俊彦 中公新書 1989 11~13ページ)

私も以前こういう青年を診た事がありました。
両膝の痛みを訴えてはいたのですが、訴えてきた原因もずっと以前のものだし、触診や視診にもこれといった異常は感じませんでした。
座ってじっとしていると痛み出す、という話だしなんだかな…。と問診を続けていると、意外な事実がわかったのです。

彼は高校卒業の頃、「Ⅰ型糖尿病」を発症したそうです。(現在は大学に普通に通っている)

その話を聞いて私はハッとしました。
糖尿病の合併症に「動脈硬化性疾患・糖尿病性足病変」というものがあり、重症になると脚が腐ってしまい、脚を切断しなければならないという状態があることを思い出しました。

「このことを彼が知っていれば…。痛みの元になり得るな…。」
でも、知らなかったら余計に心配し不安になり、痛みが増すのではないかと思いました。が今、こんなにネットが普及している中で糖尿病で検索をかければ一発で出てくるのではないか…。

迷ったあげく、初診の時はそれに触れずにいました。

次に来院されたときにさりげなく「XX君は、パソコンするの?」と聞いてみました。答えはもちろん「する」とのことでした。

それならば話をするのがベストではないかと決心し、痛みと心の不思議な関係の話をしました。彼もやはり合併症のことは知っており、不安に思っているとのことでした。

それから何回か通院してもらい、二人で話をしました。痛みは段々感じなくなったようで痛みと心の話も納得していたようです。

この様に痛みと関係ない疾患が、その意味を超えて関係する部位の痛みとなって現れるケースは少なくないはずです。

これは、上手くいったケースで下手をすれば、不安を掻き立てて更なる痛みのスパイラルに患者さんを巻き込むことになるでしょう。それだけはこれからもずっと避けなければならないな、と肝に銘じました。

大変貴重な臨床体験でした。
私はもちろん糖尿病の治療も投薬もできませんが、痛みに対する不安を取り除くことができると思いました。

こないだ彼を見かけましたが、一生懸命自転車をこいでいましたので、膝のほうはバッチリなのでしょう。
よかった、よかった。

(追記)

この記事を読んでいて思い出したのですが、私がまだ専門学校のピッカピッカの一年生だったころのこと。
超体育会系の校風に慣れずに四苦八苦する毎日だったわけですが、その日は先輩を自転車の後ろにのせてバイト先まで送らなければならないというバリバリの仕事があったわけです。

先輩の待つ寮まで急いでチャリを漕ぐ私。遅れたら大目玉、どころの騒ぎじゃありません。スキンヘッドにさせられてしまいます(経験済み)。
死に物狂いで自転車を漕いで交差点を横切ろうとした、その瞬間…。


「ガッシャ~~~ン!!」

タクシーに横から衝突されてしまいました。
いや、私がよく確認しないで急に飛び出した、感も否めませんがとにかくクラシュ!!

ふっ飛ばされたわけでなく、逆にタクシーの下に自転車ごと半身潜り込んだ形のクラッシュでした。
左半身をしこたま擦りむいたわけですが、その時私の脳裏によぎったのはマツムラ先輩(あ!?)の顔でした。

降りてきたタクシーの運ちゃんの「大丈夫か!?」の一言に喰い気味に「僕は大丈夫です!急ぐのですいません!!」と言い残しタクシーに半分飲み込まれた自転車を引きずり出し、マツムラ先輩の待つ寮まで泣きそうになりながら走りきりました。

いや、そりゃ痛かったですよ。でも“痛み反応”をしている場合じゃなかったわけです。
まさか先輩に「タクシーに轢かれたので…」とも言えず何事もなかったようにマツムラ先輩をバイト先の焼き鳥大吉まで自転車の後ろに乗せてデリバリーさせて頂きました。

状況や環境によって痛みは様々に形を変える「アメーバ」のようなものと考えた方がよいでしょうね。
これが、痛みのTPO。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中