ゼロリスク探求症候群

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ゼロリスク探求症候群

 
(2011/3/18の記事)

(『食のリスクを問いなおす』 池田正行 ちくま新書 2002)

この本の中に”ゼロリスク探求症候群”という言葉が出てきます。

従来認知心理学は、”現実にはあり得ないゼロリスクを求めてはならない”と教えている。この大原則は、火山・地震防災や環境リスクの分野では、常識となっている。

しかし、BSEパニックでは、この原則を無視した行動が横行した。その背景にある社会心理を、私はそのまま「ゼロリスク探求症候群」と名づけた。この症候群を一言で表現すれば、”ゼロリスクを求めるあまり、リスクバランス感覚を失い、自分の行動が重大な社会問題を起こすことも理解できなくなる病的心理”である。

少し専門的な表現をすると、この症候群の特徴は、自分自身に正義があるとの幻覚妄想症状と、自分が差別や風評被害の加害者であることを忘れる失認症状である。BSEパニックでは、牛肉消費低迷のような大規模被害にも、地域社会で陰惨な差別が起きた。

例えば、健康な牛を数頭飼っている福島県のある農家で、”子供に病気がうつるのに、なぜ早く牛を殺さないのか”と、近所から非難されている事例が、私の元に寄せられた。

(中略)

ゼロリスク探求症候群の特徴を表10に示す。

(以下、表10の内容を引用)

1、感染症防御・食品の安全を求める行動
2、リスクを過大に評価する
3、個人レベルでは影響が小さい
4、誤解やデマが背景にある
5、多数派化・集団化によって社会問題化
6、しかし自分への直接影響はない
7、行政・メディアを巻き込む:責任転嫁

(引用終了)

この症候群への対処がやっかいな理由も、表に示した特徴で説明できる。すなわち、誤解やデマは、正しい情報へのアクセスを確保することにより、ある程度対処できるが、社会的なパニックの時は、間違った情報の方が大量に出回り、正しい情報が埋もれて見えなくなってしまう。
また、パニックの時は、行政機関が非難の対象になっていることが多く、そこからの情報がしばしば信用されない。数少ない中立機関が情報発信すると、各方面からの問い合わせが殺到して、機能が麻痺してしまう恐れもある。

一方、個人の行動が社会問題を引き起こすということは、理屈でわかっていても、安全を求める行動が優先して、しばしば抑制が効かない。このため、行政やメディアといった組織を非難の対象にして、個人の責任を問わないという逃げ道が作られる。
例えば、ハンセン病患者の隔離はすべて旧厚生省が悪い。BSEの発生はすべて農水省が悪い。BSEの風評被害はすべてメディアが悪い。といった具合である。こういった論理の背景には、自分自身の責任を認めたくない、自分はあくまで無垢な一般市民であると考えたい心理が働いている。そのためには、役所のような、決して反撃してこない公組織は絶好の攻撃対象となる。

では、なぜBSEでここまでゼロリスク探求症候群がひどくなったのだろうか?それは、ゼロリスク症候群を悪化させ、社会的被害を大きくする要素を考えてみるとよくわかる。その要素は次の通りである。

①リスクが感染症・中毒の時:生命や健康を直接脅かすので、恐怖心が起こりやすい。
②空気・水・食品・あるいは人間との接触が媒介:身近で不可欠なものが媒介するので、不安が増大する。
③性質の悪い病気:治療法がない、死に至る病。
④障害臓器:皮膚のように目に見える場所や、肝臓のような内臓器の病気と異なって、脳は最悪。なぜなら、脳の病気では人間らしい思考、感情や意識が障害され、生命ばかりでなく、人間としての尊厳までも失われる悲惨な末路を思わせるから。
⑤病原体のコントロールが困難:加熱、冷凍などの一般的手段で除去できない。
⑥リスク回避の代替手段が容易に入手できる:以上のような恐ろしいリスクから逃れる道が開けていれば、人々はそこへ殺到する。その行動が社会的被害を大きくする。例:牛肉をやめて豚肉、鶏肉を食べる。

ハンセン病患者隔離、埼玉県産野菜のダイオキシン汚染不評被害といった従来の典型的なゼロリスク探求症候群でさえも右の(上の)条件を満たしてはいないのに、BSEはこれらの条件をすべて満たしている。
そういう意味でも、BSEパニックは、まさにゼロリスク探求症候群の典型例と言えよう。

ちと、長いですが読んでみて下さい。

ゼロリスクとはリスクゼロということです。
薬剤には作用(利益=ベネフィット)と副作用(危険性=リスク)があります。リスクよりベネフィットが上回れば薬として役立つわけですが、リスクが上回ってしまえばただの毒になってしまいます。

薬剤に限ったことではありません。食品、医療行為etcなどは常にそのベネフィットとリスクのバランスが問題となります。
その感覚が一時的、あるいは慢性的に麻痺してしまうことを「ゼロリスク探求症候群」というのでしょう。

この間、無いことを証明することは非常に困難である。もっといえば不可能である。と書きました。
このことを頭の隅に入れておくことがリスクとの正しい付き合い方だと考えられます。

今で言えば原発にしろワクチンにしろベネフィットとリスクは正反対ということでなく常に紙一重、背中合わせの事象であると、そしてそれを見極めるのは誰でもない自分自身だと認識すること。

”覚悟”が必要です。

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