サイレンと拡声器

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サイレンと拡声器

私が消防団に入って今年で4年目になる。
その間、山火事などに数回出動したが特に身の危険を感じるほどの修羅場に出くわしたことはない。消防団員として、とても幸せなことだ。地域の皆様に感謝しなければならない。

ウチの3階のトイレにはキティーちゃんの目覚まし時計がある。
嫁に行った姉の置き土産だ。

普段、トイレにあるわけですから目覚ましセットなどしないのだが子供がイタズラするのか夜中、たまに鳴るときがある。「ジリリリリリリ…」でなくサイレンのような音で鳴る。

ウチの家族はみな3階に寝ているのだが、これに気付いて止めに行くのは私だけである。
朝、起きて嫁さんに訪ねると「え!?鳴ってた?」と嫁さんは言う。

ここから考察するに私にとってサイレンの様な音は耳から脳の間で特別な信号として、その間を走って普通の音を処理する部分とは違う回路で処理されるのだろうと考えられる。

反対に嫁さんは子供がちょっとでも泣くと起きる。私はほとんどの場合、起きない。で、翌朝先ほどのような会話になる。「え!?泣いてた?」。

私も消防団「耳」(「しょうぼうだんじ」と読みます)を身に付けることができたなぁ…と思います(ちなみにママが子供の声に反応して起きることを、ママ「耳」(ままじ)という。

そんなこんなで「痛み」というものも似たような特性があると考えられる。
その人にとって何らかの意味の発生しやすい部分が痛みの発生源になり易くなるのであろうと考えられる。

ピアニストが指を怪我をして感じる痛みと、一般の人が指を怪我して感じる痛みとは意味合いが違ってくるだろうし、アスリートが足を故障して感じる痛みも同じことが言えるのであろう。

単純に考えるに脳の中に「痛みの拡声器」のようなものがあるのではないかと考えられる。
その痛みが、その個人の中で特別な意味合いを持つとき、その拡声器を通して感じる痛みは量的には多く質的には強く感じてしまうんではなかろうか。

私の場合、キティーちゃんの目覚まし時計から発せられるサイレンの様な音は脳の中の拡声器によって正に大きな音となり処理され認識されるのだろう。

いや、でもキティーちゃんの目覚まし時計…そう言えば子供の手の届かない高さの所にあるなぁ…。ゾゾゾ。

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