視えない不安と視える不安

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視えない不安と視える不安

 

漢のブログ 
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デルマトーム

そもそも、人間は身体症状と視覚が一致して、初めて明確にそこが痛い、痒いと認識できるのかもしれません。

例えば、蚊に腕を噛まれたとしましょう、腕なら噛まれた場所が目で見る事が出来ますから、ピンポイントでここが痒いと言えます。

これが、背中であれば見えませんから、この辺りが痒いと認識できますが、ピンポイントでここが痒いとは言えません。
しかし、人に蚊に刺された箇所を掻いてもらっうと、痒みのポイントが明確にります。

痛みは傷があると明確に視覚と一致できますが、そうでない筋筋膜性疼痛症候群(MPS)のようなものは、視覚と痛みが一致する事なありませんから、患者さんの訴えも、この辺りが痛いと言うような曖昧な訴えの方が多いように感じます。

前から書きたいことがあったのですがピン!とこなくて書けなかったのですが、こちらの記事を読んで「ピンッ!」ときたので書いてみます。bancyou先生、ありがとうございます。

今、「視覚から得られる情報」で検索をかけ調べた幾つかの情報を平たくすると、人間が五感から得られる情報をパーセンテージで表すと視覚は80%にもなるそうです。次いで聴覚が10%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚1%ということでした。

これはもちろん絶対ではなくて、美味しいものを食べるときは味覚の感覚が鋭敏になるだろうし、遠くで聞こえるサイレンを聴こうとすればその瞬間、聴覚が研ぎ澄まされるのでしょう。

兎にも角にも視覚から入る情報というのは人間にとってかなり重要なウェイトを占めていることは間違いのないことでしょう。

腰とか背中って普段、よっぽどのことがない限り見ないじゃないですか。自分で。
こういう部位っていうのは普段、見ることが容易にできる部分(例えば手とか腕とか足とか顔とか)なんかとは変わった認知が心理的にされているんじゃないかと私は思うわけです。

bancyou先生の記事にもありますが視覚できない部分に生じた痛みというのは視覚できる部分に生じた痛みと違う意味合いがあるのではないでしょうか?

もっと突っ込んで言えば「視覚できない部分は痛みを出しやすく、更に強く感じやすい」のではないか…?

人間の感覚の80%を担っている視覚感覚で処理できないわけですから、その痛みに対してより不安を感じやすくなるのではないかと私は考えます。ご存知の通り不安は痛みの親友みたいなものですから、不安を感じやすい部分に生じた痛みは、そうでない部分に比べ痛みを強く感じやすい。

更に「(痛みがあるが)見ることができない」=「状態がわからない」=「自分だけではどうすることもできない」=「何らかの形で第3者の介入が必要」という図式が成り立ちます。

「第3者が必要」ということは痛み行動を起こしやす状態になりますから慢性痛へ移行しやすい。

読んだことはありませんが『心はなぜ腰痛を選ぶのか』というサーノ博士の本があります。
私の見解では、こんな感じの心理的作用が働くことによって起こる腰背部痛が存在するのではなかろうかと認識しています。

もっとややこしいことを言えばレントゲンやCTなどの画像検査を好む人が多いのは、その検査結果に関係なく見えない不安を見える様にすることで得られる安心感にこそ重要な意味があるのだと考えられます。
見ることから得られる安心感に勝るものなし、という人間の心理の的をズバッ!と射るのでしょう。

こんなことを考えながら、どう臨床で応用できるか考えてみます。

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